想望三国志 周瑜編(ネタバレ注意)
はいw ようやく第三弾に突入しましたww
てか、本編はもう五弾まで出てるのに・・・(遅w
ということで 周瑜です。
立花さんの周瑜・・・本当に素敵でした!
美周郎って言葉がそのまま当てはまるお声・お芝居で、史実に一番近い展開ですね♪
いや、あそこまでナルシストだったかは謎ですがwww
(これは三国志演義をメインに考察しています。このシリーズ、三国志演義を基にしてると思われるので・・・)
周瑜 字は公瑾(こうきん) 175年~210年
えっと、前作の二人と比べてもとても若くで亡くなっています。
36歳でこの世を去ったとされています。
めちゃくちゃいい男☆とだったといわれているのです!ぜひ実物を拝見したかったw
まずは、この人を語るのに必要なのは孫策との関係について。
孫策は言わずと知れた呉の王。実は孫策と周瑜って同じ年なのです。
トラック1で出てくる謎の人物(アイツとの約束のアイツ)が孫策です。
これは後のトラックで話してます。
孫策とは反董卓の頃に出会い、それからは家族同然のお付き合いがあったと言われています。
孫策は200年に死去しており、その後弟の孫権が跡を継いでいますが、その際若輩者の孫権に対して早々に臣下の礼を取ったといわれています。
というか、もう私的には孫策と周瑜はBでLな関係だったんじゃないの??wwみたいな・・・www
主人公との出会いは、206年。
山越民族の討伐の時。この時周瑜は32歳。立花さん・・・色気ありすぎですw
程普の事も良く出てきましたね。程普は孫堅(孫策の父)の頃から仕える先輩です。
実際に周瑜は程普に対してかなりの低姿勢を貫いたとされています。
208年の春・大督に就任。
この年の9月が赤壁の戦いですね。トラック6で諸葛亮にイライラしている様子が伺えますw
この時諸葛亮は27歳ぐらい。周瑜は34歳ぐらい・・・。年下の若者に見透かされてる感が嫌だったのでしょうか。
その後、あっさりと荊州を持っていかれてしまい、取り返そうと躍起になっています。
トラック6のラストで返り血?を浴びて・・・という事を仰ってますが、実際は流れ矢にあたり痛手を負っています。
トラック8で笛を吹いているシーンがありますが、実際にもすごく音楽に精通しており、酔っぱらっていても流れてくる曲の間違いが分かったとされています。
さて。周瑜の死因ですが・・・
死の間際まで意識がしっかりしていた?という事が言われているで、慢性的な疾患を患っていたのでは?とされています。
実際にものすっごい大酒のみだったとも言われていますし、長江流域には低血吸虫といわれる寄生虫が生息しており、これに寄生されると時間をかけて内臓疾患を引き起こし死に至る場合があるので、
おそらく 肝臓あたりが悪かったのではないか?と言われています。
(トラック6での矢での傷が原因という説もあります)
これが今までで一番悲恋らしい悲恋・・・。
208年の赤壁の戦いの後で亡くなる210年までの2年間。
実質は一年ちょいかも?しれないし・・・(死亡年はわかるけど、死亡月は不明)
それが、周瑜と主人公の愛の時間ですよ!諸葛亮や曹操と比べても本当に短い!!
そりゃ、立花さんも必死のお芝居をしますよ!その必死さが可愛くて可愛くて・・・♡
私のお耳の恋人は緑川さんですが、確実にお耳が幸せにはなりましたwww